【絵本専門士HARUの絵本時間】サイレント映画を見るような静けさを味わう 『かさ』


『かさ』作・絵/太田大八、文研出版、2005、amazon

【あらすじ】

雨が降りしきる中、大きな黒い傘を抱えて歩いていく女の子。

友達とすれ違い、線路を越え、歩道橋を渡って、めざす先は駅でした。

白黒の背景の中を、赤い女の子の傘だけがカラーで描写される表現によって、女の子の心情や歩みに注目しながらその姿を追うことができます。文字なし絵本なので、サイレント映画を見るように、読み手の想像力を膨らませながら味わえる1冊です。

自分が少し大人になったような嬉しさを感じて 小さな女の子の冒険

この絵本では、雨の降る白黒の情景の中を、赤い女の子の傘が進んでいく様子が描かれています。

この絵本のページをめくっていくうちに、鬱々としてしまうような降りしきる雨の中の、目をひくその鮮やかな赤い傘に、わたしたちはどうしても惹きこまれていくのです。

先日、私が誕生日を迎えた日に、小学生の娘が「何か買ってきてプレゼントしてあげる!」と自分のお財布を首にかけて一人で近くのコンビニへ買い物に出かけました。親としては、一人で出歩かせることに少しの心配もありましたが、自分のお小遣いで自分の足でささやかなながらもプレゼントを買いに行く、ということに張り切り誇らしげにしている娘の表情を見たら断ることはできませんでした。そんなとき、この絵本の女の子もこんな気持ちだったのかな、とふと思いました。

大人にとっての普段の駅までの道は、目的の場所に辿りつくための移動時間でしかないかもしれません。

けれど、赤い傘の女の子にとっては、道すがらのさまざまな出来事がどれも新鮮でどきどきわくわくの連続に感じられるのでしょう。鮮やかに映える傘の赤は、まるで女の子の高揚した気持ちを表しているようです。

お父さんの少し重い傘を脇に抱え、お父さんの力になれることが少し誇らしくもあり、また一人で駅までの道を進むことにうきうきした冒険心にあふれている様子がドラマチックに描かれています。

街中の定点カメラから眺めているような画角の効果により、雨の中歩みを進めていく女の子の姿を追いながら、私たちもしっとりとじっくりと眺めて感情移入していくことができるのです。

お父さんの黒い大きな傘が開かれて赤い傘の出番は終わったとき、親子のほっこりするラストにも注目です。

絵本専門士 藤井遥 


文字がなくても しとしと降る雨の音が聞こえてくるような、しっとりと味わえる絵本ですね。

【絵本専門士HARUの絵本時間】思春期・反抗期の子どもと親の距離『キスなんてだいきらい』

キスという愛情表現は日本ではなじみがないかもしれませんが、世話を焼いたり、失敗しないように気遣ったり、心配のあまりいろいろ言いすぎてうるさがられたり・・という経験がある人は多いのではないでしょうか? 成長は嬉しいけれどちょっと寂しい、そんな微妙な感情を捉えた一冊でした。

と、いきなり感想を述べてしまいましたが、みなさんはどう感じましたか?

(コクリエMK)


『キスなんてだいきらい』作/トミー・ウンゲラー、訳/矢川澄子、文化出版局、1974、amazon

パイパーは思春期の男の子。いつまでも子ども扱いをしてキスをしてくるお母さんにうんざりする毎日でした。

ある日、学校で喧嘩をして大怪我をしたパイパーを見て、お母さんは大騒ぎし、親子の一悶着が起こります。

男の渋さを醸しだすお父さん、治療も過激で無愛想な看護師さん、風刺がピリリと効いたトミー・ウンゲラー節がこぶしを効かす 大人も読みながらにやりとしてしまう絵本です。

文化出版局から1974年に出版され、2023年に好学社から復刊されています。

わが家には4月から小学生になった息子がいます。慣れない登校のために、毎朝約束の場所まで送っていって別れるのですが、彼は何度も振り返り、手を振りながら学校へ向かっていきます。その姿に手を振りかえす度に、いつかはこの惜しげもない母親への愛情表現が鳴りを顰める時がくるのかな、という寂しさを予感しています。

欧米ほど愛情の表現のキスの習慣が浸透していない日本でも、やっぱり親としては愛しい我が子に愛情表現はしたいですよね。手をつないだりキスをしたりハグをしたり−。でも、やはり小学生くらいの時期になると「お母さん、離れて」と言われてしまったりするなんてこともよく耳にします。

この絵本でも、思春期のパイパーは自分の世界を持ち始めています。

なにに対しても反抗心がむくむく起こり、流血ありの喧嘩をするわ、クラス公認のかなりヤンチャなタイプ。親の不可侵の領域を確立しているのですね。それでも、喧嘩をする仲間とは意外と心が通じ合っていたりなんだかんだ自分の世界をうまくまわしています。

でも、息子がかわいくってしょうがないお母さんはやはりパイパーが心配で。

パイパーは悪さもするし喧嘩もしますが、成績は悪くない賢い子です。そう、だから全部わかっているんですよね、きっと。

母親の愛情もちゃんとわかっているけれど、自分の友達づきあいのメンツがあり、人前で愛情表現をすることが気恥ずかしいお年頃。自分のテリトリーを確立しようとする子どもの境界線を超えてしまったとき、お母さんとパイパーの一悶着が勃発したのでした。

ぜひ文章には出てこない背景の描き込みや登場人物にも注目してほしいところです。

トミー・ウンゲラー自身の辿ってきた体験も少なからず投影されているのでは、と考察もできますがそれはまたいつかの絵本講座でご紹介したいと思います。

他、『どうして、わたしはわたしなの?−トミー・ウンゲラーのすてきな人生哲学』(トミー・ウンゲラー/著、アトランさやか/訳、現代書館、2021)もおすすめです。フランス哲学雑誌『ファイロゾフィー・マガジン』の人気連載の書籍化で、ウンゲラーのイラストがたっぷり収録された彼らしい哲学問答を楽しむことができます。

最後に、喧嘩をしたとしても何事もなかったように笑顔でパイパーを迎えられるママはさすがです。親への愛情をなんだか素直に示せない、そんなときは花を買って手渡して伝えてみればいいんじゃないかな、と思わせてくれる母の日にぴったりの1冊です。

絵本専門士 藤井遥 

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【絵本専門士HARUの絵本時間】くすっと笑って、ゆっくり休みながら『ぼちぼちいこか』

2025年4月27日の大人のための絵本の会のテーマ は「濃すぎる絵本キャラ大集合」。それに先駆けて、見ただけで こころがほんわかする、大阪弁のカバが登場する絵本のご紹介です。

頑張りすぎて いつの間にか疲れてしまう・・そんなときに「ぼちぼちやっていこう」という言葉が染み入りますね。

(コクリエMK)


『ぼちぼちいこか』作/マイク・セイラー、絵/ロバート・グロスマン、訳/今江祥智、出版/偕成社、1980、amazon

【あらすじ】

「ぼく、しょうぼうしに なれるやろか。」ホースを抱えて、煙の中でハシゴで意気揚々と駆けあがろうととするかばさん。

でも−「なれへんかったわ。」

常に心の片隅に大切に抱えていたい言葉になるはずです。

失敗したっていいじゃない。休みながら、ぼちぼちいこう。

世の中では新学期が始まり、新しい環境に進む人も、またひとつの節目としても何かと気負ってしまう4月ですよね。電車や街中にも、少し緊張した面持ちの学生や社会人が見受けられ、いつにもまして殺気だったような駅のピークタイムを春の風物詩のようにも感じます。

さて、そんなときにぜひ手に取ってほしいのがこの一冊。

いろいろな仕事にチェレンジしても、力も体もたっぷりすぎて失敗ばかりのかばさん。

ですが、そのきょとんとしたとぼけたような顔と関西弁のセリフに、読んでいる私たちが逆に救われるようです。

ラストでなかなかうまくいかず、さすがのかばさんも「どうしたら ええのんやろ。」と途方に暮れます。

しかし、そんなときどうすればいいかって? 

かばさんのようにハンモックに揺られてひと休みすればいいんです。

だめなら、一度やめたっていいじゃない。休んだっていいじゃない。生きていれば丸もうけ、なんて思いつめすぎた心をリセットさせてくれる力がこの絵本にはあります。

【休むことを教えてくれる処方薬】

この絵本の文章を関西弁に訳し、自然と笑いを誘いふっと肩が軽くなるような作品にしてくれたのが訳者の今江祥智さんです。

子どもたちなんて、読むたびにゲラゲラ大笑いするほど。原書では、なにをやっても「NO」となり、またその「NO」が大きくなっていくというおかしさがあり。それぞれの良さがありつつも、私たちには今江さん訳がしっくりくるのかなぁとも感じます。

ときに、『頑張れ!』『負けるな!』という叱咤激励よりも、「ま、ぼちぼち いこか」と休むことを教えてくれるような言葉のほうが心にじんわりと効く処方薬になるのではないかな、と思います。

絵本専門士 藤井遥 

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