【絵本専門士HARUの絵本時間】くすっと笑って、ゆっくり休みながら『ぼちぼちいこか』

2025年4月27日の大人のための絵本の会のテーマ は「濃すぎる絵本キャラ大集合」。それに先駆けて、見ただけで こころがほんわかする、大阪弁のカバが登場する絵本のご紹介です。

頑張りすぎて いつの間にか疲れてしまう・・そんなときに「ぼちぼちやっていこう」という言葉が染み入りますね。

(コクリエMK)


『ぼちぼちいこか』作/マイク・セイラー、絵/ロバート・グロスマン、訳/今江祥智、出版/偕成社、1980、amazon

【あらすじ】

「ぼく、しょうぼうしに なれるやろか。」ホースを抱えて、煙の中でハシゴで意気揚々と駆けあがろうととするかばさん。

でも−「なれへんかったわ。」

常に心の片隅に大切に抱えていたい言葉になるはずです。

失敗したっていいじゃない。休みながら、ぼちぼちいこう。

世の中では新学期が始まり、新しい環境に進む人も、またひとつの節目としても何かと気負ってしまう4月ですよね。電車や街中にも、少し緊張した面持ちの学生や社会人が見受けられ、いつにもまして殺気だったような駅のピークタイムを春の風物詩のようにも感じます。

さて、そんなときにぜひ手に取ってほしいのがこの一冊。

いろいろな仕事にチェレンジしても、力も体もたっぷりすぎて失敗ばかりのかばさん。

ですが、そのきょとんとしたとぼけたような顔と関西弁のセリフに、読んでいる私たちが逆に救われるようです。

ラストでなかなかうまくいかず、さすがのかばさんも「どうしたら ええのんやろ。」と途方に暮れます。

しかし、そんなときどうすればいいかって? 

かばさんのようにハンモックに揺られてひと休みすればいいんです。

だめなら、一度やめたっていいじゃない。休んだっていいじゃない。生きていれば丸もうけ、なんて思いつめすぎた心をリセットさせてくれる力がこの絵本にはあります。

【休むことを教えてくれる処方薬】

この絵本の文章を関西弁に訳し、自然と笑いを誘いふっと肩が軽くなるような作品にしてくれたのが訳者の今江祥智さんです。

子どもたちなんて、読むたびにゲラゲラ大笑いするほど。原書では、なにをやっても「NO」となり、またその「NO」が大きくなっていくというおかしさがあり。それぞれの良さがありつつも、私たちには今江さん訳がしっくりくるのかなぁとも感じます。

ときに、『頑張れ!』『負けるな!』という叱咤激励よりも、「ま、ぼちぼち いこか」と休むことを教えてくれるような言葉のほうが心にじんわりと効く処方薬になるのではないかな、と思います。

絵本専門士 藤井遥 

大人のための絵本の会(月1回開催)についてはこちらから

【絵本専門士HARUの絵本時間】自分で切り拓いていく彩りあふれる世界『はるがきた』

2025年3月20日の大人のための絵本の会のテーマ は「花」。それに先駆けて、春の絵本のご紹介です。

春が来ないなら、自分で春を描いていく。

ないものを待っているだけではなく、積極的に自分の夢をかなえていこうと行動する姿勢に背中を押される気持ちがします。

(コクリエMK)


『はるがきた』作/ジーン・ジオン、絵/マーガレット・ブロイ・グレアム、訳/こみやゆう、主婦の友社、2011、amazon

3月に入ったかと思ったら雪予報が出ていたり、まだ冷たい雨風を感じる今日この頃ですね。春を待ち侘びる私たちにぴったりの1冊をご紹介します。

【あらすじ】

寒い冬ももう終わり、待ち遠しい春はすぐそこ。でも、今年の春はなかなかやってこなくて……。

町はまだ灰色、街路樹は枯れ枝で、人々は沈んだ気持ちでした。そんな時、男の子が言いました。

「ねえ!どうして春を待ってなきゃいけないの? 待ってなんかいないでさ、僕たちで街を春にしようよ!」

そこで、町の人々は町中を春に塗り替えていきます。しかし、その晩に激しい雨が降り春の絵は流されていないますが−。春の訪れを生き生きとした喜びとともに描いた絵本です。

春が来ないなら、自分で春を描けばいいじゃない!

男の子の一言で、町の人々は春を町中に描いていきます。

お店の壁や日よけ、大きなビルの一面、郵便ポスト、波止場の古い桟橋、つり橋、はたまた電車まで−。そして、次々と鮮やかに描かれていったのは、タンポポにおおわれた丘や小川、葉っぱやつるにラッパスイセン・ヒナギク・キンポウゲなどの花々、湖に苔におおわれた岩、羽ばたくルリツバメに、気持ちよさそうに座るカエル、葦と睡蓮の間をとびはねる魚たち。

人々の待ちわびる春の情景が生き生きと形になっていきます。その様子は、自分で望むものを形にしていく美しさと喜びを見せてくれるようです。

人々の描いた春が一度流されてしまったあとに、本当の春が訪れますが、絵本のページの中で徐々に町に鮮やかな色があふれ、世界が色づき塗り変わっていくような光景に心が洗われるような気持ちになります。

【春に集う人々の穏やかさと、明るい力】

何よりも、緑や鮮やかな花々の芽吹く春の中に、人々の生き生きとした生活が描かれていることが大きな魅力です。あたたかに世界が色づき始めると、みながお互いが集い、遊び、まどろみ、穏やかに暮らしている姿のひとつひとつが本当に幸せそうにうつります。

何かを待ってくすぶっているよりも、自分で動いてみる。物事を打開していく明るい力をこの絵本から分けてもらえる気がします。

『どろんこハリー』シリーズの著者コンビによる本作。カラフルであたたかなイラストが魅力の絵本です。

絵本専門士 藤井遥 

【絵本専門士HARUの絵本時間】戦争が、他人ごとが自分ごとになるとき 『せんそうごっこ』文/谷川俊太郎 2015年

今回は2025年2月16日(日)の絵本の会のテーマ 「故・谷川俊太郎さんのダークサイドに触れる絵本」を受けて、選書していただきました。もっと谷川俊太郎さんの絵本に触れてみたいという方も初めての方も、ご参加お待ちしております。


『せんそうごっこ』文/谷川俊太郎、絵/三輪滋、いそっぷ社、2015年

【あらすじ】

男の子が戦争ごっこに興じています。アメリカのタンク、ソビエトのタンク。それに、ミサイル。どっちも一つ十億円。戦争ごっこの遊びから、その空想は現実の境界を超えて広がっていき−だんだんと自分の世界へ戦争が現実味を帯びたとき。男の子は、何を見たのでしょうか。ポップな絵柄ながら、鋭く私たちに問いかけるような1冊です。

無邪気な無関心の恐ろしさ

いそっぷ社から2015年に刊行された本作は、1982年刊行された本の復刻改訂版です。35年の時を経て復刊された本作に、谷川俊太郎は以下のようにあとがきを記しています。

“兵士として現実の戦場に生きたことのない自分にとって、戦争という〈悪〉をどうとらえることが出来るのか。戦争反対の声をあげる以前に、自分自身の内面に戦争につながる意識下の衝動があるのではないか。そう考えながらこの絵本のテキストを書きました”(谷川俊太郎のあとがきより)

ごっこ遊びから侵食してきた戦争の現実に飲み込まれたとき、男の子は宇宙にただひとり取り残されたようになってはじめて恐怖を覚えます。

ここからも、谷川俊太郎の詩を読み解くキーワードは、“孤独を感じること”にあると思います。

彼の詩に触れていると、仲間、コミュニティ、自分の所属する分類を取り払って、丸裸にされて放り出されるような心許なさを感じます。全てを取り払って何も守るもののない個である自分に直面したとき初めて、私たちはやっと責任と当事者意識が芽生えるのかもしれません。

男の子は、誰かが指一本で町を消しとばすことができるのを知っています。そして、戦争は負けた方も勝った方も多くの死を招くこともちゃんと知っています。でも、そこには罪悪感なく人の死が扱われているのです。

この「せんそうごっこ」の根底には、戦争を自分とは関係のない出来事のように捉えているわたしたちの姿が、男の子に投影されているように感じます。

「でも、ぼくはしなない」

男の子の言葉に、その意識が集約されているのでしょう。でも、その無邪気で無関心なその一言に、私たちもドキリとさせられます。

お父さんがいなくなり、お母さんがいなくなって自分ひとりが取り残されてはじめて本当の意味で戦争を知るのです。

わたしたちも、同じです。当事者になって、目の当たりにしてはじめてその苦しみを本当に知るのでしょう。

世界で起きている紛争や災害、悲しい事故、心を痛め祈りを捧げるだけで立ち止まらず、その渦中へ自分の意識を引っ張り上げてくれるような、鋭い読後感の絵本です。

絵本専門士 藤井遥